事務長室から 記事|医療法人団豊徳会 介護医療院 東京多摩病院

事務長室から

2026/4/27

ミャンマーと介護

コラム、始めます。
*写真説明
 東京多摩病院では4月23日夕、「外国人と働く」をテーマに、スタッフの勉強会が開かれ、講師の「ジャパンジョブスクール」の寺田さんの話に熱心に耳を傾けた。

 「ミャンマー軍事政権は、毎日新聞アジア総局の竹之内満特派員に対し、17日に再開される制憲国民会議の取材を認める入国査証を発給した。同紙に対しては95年の発給停止以来、02年8月の川口順子外相(当時)の同行取材を除き、約10年ぶりの発給」(2005年5月、配信・時事通信)

 引用が長くなりましたが、ミャンマーという国をめぐり私自身、こんなニュースになったことがあります。当時、毎日新聞アジア総局(タイ・バンコク)勤務だったのですが、お隣ミャンマーへの入国取材は「悲願」でした。
 なぜ、入国拒否だったのか? その頃のミャンマーは軍政で(今もそうですが)、野党指導者のアウンサンスーチーさん(1991年ノーベル平和賞受賞)らを厳しく弾圧していました。しかし毎日新聞は「ビルマからの手紙」という彼女の評論を連載し、軍政に睨まれていたのです。同書は96年の新聞協会賞を受賞したように、軍政弾圧下の生活や思索を端正な文章で綴った極上のエッセイですが、軍政にとっては目の上のたんこぶでした。
 ところが、軍政は国際社会復帰のため「たんこぶ」に頼らざるを得ない。冒頭の制憲会議などを経た後、スーチーさんは自宅軟禁を解除。2015年の総選挙では自身が率いる国民民主連盟(NLD)が約8割の議席を獲得、国家顧問に就任して事実上の最高権力者となります。が、経済や少数民族対策で期待された成果を出せずに軍との関係がぎくしゃく。2021年にはまたしてもクーデターで身柄を拘束され、今日に至るのです。
 ミャンマーは今、北朝鮮と並んで世界で最も閉鎖的な国と言えるでしょう。

 最大都市ヤンゴンの国際空港に降り立った際の胸の高鳴りは今も忘れません。新聞テレビ各社は地元ジャーナリストを助手や通信員として配置し、日頃の取材を支えてもらっています。そんな助手・通信員たちが、入国審査を終えた私を取り囲み、「良かったな!」「ミャンマーにようこそ」と我が事のように喜び、笑顔で握手を求めて来たのです。共同通信もAFP通信もNHKも、いわばライバル社なのに……。
 嬉しいというか、照れくさいというか、ミャンマー人の温かな感情表現にしみじみとしてしまいました。

 この4月、東京多摩病院には特定技能外国人としてミャンマー出身の女性2人が新たに入職しました。2年前、当院初の特定技能としてKさん(28)が入って以来、ミャンマー人介護士は計4人を数えます。介護の分野ではベトナム、インドネシア人が一般的ですが、ミャンマー人を採用したのは私の親近感に加え、仏教の国ならでは心根の優しさが介護職に向いているし、優秀な若者ほど国外に活路を求めるという背景を知っていたからです。現に当院の4人も大学で物理学や経営学を学び、日本語検定も取得済み。報告書を普通に漢字混じりで書くなど、優秀さに驚きます。
 採用に加え、今月は「外国人と働く」をテーマに院内の勉強会が開かれました。特定技能外国人の紹介を手がける「ジャパンジョブスクール」の寺田のぞみさんを講師に「ミャンマー人の特徴」「付き合い方の注意点は?」などを解説していただきました。質疑応答では当院のスタッフから「私たち以上に敬語を使い、驚いている」「注意点といっても、日本の若者に対するものと変わらない」——などの感想が出ていました。

 今後、少なくとも介護施設では多国籍化が当たり前になっていくでしょう。入所者だって日本人ばかりとは限りません。というか、そうならなければならないと思っています。多様な人が働く組織の方が活性化し、サービスの質は向上すると思うからです。
 ちなみにKさんは今年、国家試験に一発で合格、晴れて介護福祉士となりました。結果、介護ビザ(査証)での日本永住資格を得ることになりました。ミャンマー第二の都市、マンダレー出身。昨年3月のミャンマー大地震では、故郷の家族が被害に巻き込まれる中で勉強に励んできたのでした。目標は「日本でビジネスを始めること」。当院の若手スタッフがこのような大志を抱いていることに、思わず表情を緩めてしまうのです。

竹之内 満(たけのうち・みつる)

 1966年3月、旧・国立大蔵病院(世田谷区)で生まれる。高槻市、柏市を経て狛江3小からオーストリア・ウィーンに転居。狛江2中を卒業後、早稲田大学高等学院、早大政経学部経済学科。89年、毎日新聞入社。山口支局、熊本支局玉名駐在、東京本社地域面編集センター、八王子支局。東京社会部では警視庁(捜査2・4課担当)、遊軍では気象庁や調査報道班。2000年に外信部、アジア総局(バンコク)時代の4年間にアフガン・イラク戦争、スマトラ大津波など取材。宇都宮支局デスクで帰国後、法務室、社長室広報担当、デジタル報道センター次長、静岡支局長を経て退職。21年に東京多摩病院に入職する。
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