事務長室から 記事|医療法人団豊徳会 介護医療院 東京多摩病院

事務長室から

2026/3/16

巡礼されたいっ?

コラム、始めます。
*写真説明
映画「教場」のロケでは、多摩病院玄関の看板が制作スタッフたちの手であっという間に差し替えられた

 「聖地巡礼」は、この10年ほどでお馴染みになった言葉の一つですよね。インスタグラムなどのSNSでは、人気の投稿テーマです。
 たいていは、海外を含む旅行者とセットですから、その熱量は極めて大きいのが特徴です。だって思い焦がれた「憧れの地」を、身をもって体験するのですから、紹介文にも撮影にも力が入るというものです。
 私は前職の静岡勤務時代、その威力に気付かされました。例えば、東部の沼津市。一般的には魚の美味しい港町・宿場町・保養地ですが、人気アニメ「ラブライブ! サンシャイン!!」(2015年)の舞台となって、様相が一変しました。商店街から沼津港、御用邸記念公園……市内の有名スポットが余すことなく登場し、なぞるように若者たちが巡ります。JRだって全面協力で、駅舎には大ポスターが張り出され、ラッピング電車は一眼レフカメラを手にした若者にとって必須のターゲットとなっています。
 観光名所として復活した熱海も同じ。高度成長期には年間の観光客数が500万人に迫りながら、バブル崩壊後はほぼ半分まで落ち込んで「凋落」や「衰退」の代名詞となっていました。ところが、今ではコロナ禍も克服して300万人台を回復、「熱海の奇跡」とも言われます。その大きな要因がテレビや映画ロケの積極的な誘致による知名度アップと、Uターン者を中心とした街づくりだったのです。
 近年、テレビ番組の協力欄に「◯△ロケーション」などと自治体名を冠したクレジットが目立ちますが、熱海は先駆者です。ですから、狛江市にも「狛江ロケーションサービス」があると知って、私は東京多摩病院のロケ地登録を思い立ちました。担当の清水寿美代さんの対応も早かったですね。
 その結果はーー。実は、3月15日号の「広報こまえ」最終ページ「こまえロケ日和〜撮影を支える人々〜」に掲載されました。「『あのドラマに出ていたね』と言われたい」という主見出しは、やや身も蓋も無いかなとは思いますが、まあ、多摩病院が地元に貢献できたら嬉しいな、というのが私の真意ではあるのです。
 詳しくは元朝日新聞記者、佐藤清孝さんの文章にお任せして、私の思い出話を補足するとすれば、多摩病院であったテレビドラマ「西部警察」ロケ(1980年)での、故・渡哲也さんと寺尾聰さんについてでしょうか。お二人とも長身でサングラス姿の強面。でも、渡さんは終始穏やかな雰囲気で、ある場面でカットがかかると、こちらに歩み寄ってきて両肩をガッシリと掴んでくれたのです。その時の舞い上がるような気持ちは今も覚えています。
 一方の寺尾さんは、大ヒット曲「ルビーの指輪」でブレークする直前でした。まだ「名優・宇野重吉の息子」状態でしたが、臙脂色のジャガーで病院駐車場に乗りつけると、格好良くタバコの煙をくゆらせます。その姿に精一杯の自己アピールを感じ取ったのでした。現在の枯れた演技とはだいぶ違いますよね。
 また、ヒロイン役だった内海和子さんは、5年ほどたって一世を風靡した「おニャン子クラブ」の主要メンバーとして、人気アイドルとなります。もちろん、子役時代を知っていることを大いに自慢できたのでした。
 この西部警察第50話「少女の叫び」は現在もアマゾンプライムビデオ(有料)などで視聴できます。ロケの見物人が普通に事件現場の群衆として映り込んでいるなど、ツッコミどころは多いのですが、当時の様子がまざまざと蘇ってきます。
 考えてみると、多摩川をはじめ、狛江〜成城学園〜祖師ヶ谷大蔵界隈は、ロケだけでなく、撮影スタジオも多い(多かった)ので、俳優さんや監督さんが普通に街中を歩いていたりします。「巡礼」を始めるなら足元から、なのかも知れません。

竹之内 満(たけのうち・みつる)

 1966年3月、旧・国立大蔵病院(世田谷区)で生まれる。高槻市、柏市を経て狛江3小からオーストリア・ウィーンに転居。狛江2中を卒業後、早稲田大学高等学院、早大政経学部経済学科。89年、毎日新聞入社。山口支局、熊本支局玉名駐在、東京本社地域面編集センター、八王子支局。東京社会部では警視庁(捜査2・4課担当)、遊軍では気象庁や調査報道班。2000年に外信部、アジア総局(バンコク)時代の4年間にアフガン・イラク戦争、スマトラ大津波など取材。宇都宮支局デスクで帰国後、法務室、社長室広報担当、デジタル報道センター次長、静岡支局長を経て退職。21年に東京多摩病院に入職する。
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